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あなたは誰のために生きてますか。親子喧嘩にみる人生観。

ども。なごったです。

すっかり暖かくなりました。

最近飲食店を営む親子が店を閉める閉めないの話でもめてたので仲裁役をすることがありました。

普段から僕自身も考えていることでもありますが、仲裁をしていて、人は一体誰のために生きているのか色々感じたことを書いてみるね。

グッジョブ

なんでお店を閉めるという話にまでなったの?

そもそも先述の親子喧嘩、どちらもお店の繁盛のためとても努力しているという点では意見は一致してました。

ただ親はお店の実質オーナー、子は料理人で店長という立場。店内では店長である子が運営したいと考える一方で、売上を増やすためにオーナーの視線で運営しようとする親。

運営方針の違いや店内でのオーナーの自由な動き方に不満を持つ店長の方は気持ちよくありません。

オーナーとしてもコストを気にしすぎて守りの姿勢や非効率な仕入れの仕方が気に入りません。そんな二人がぶつかり合うのは時間の問題でした。

お互い冷静に話し合えばよかったのですが、親子であることでどちらも感情的に言い合いになってしまってました。問題は店長である子がオーナーである親に手をあげたことでした。

さすがにそれはまずいだろうということで僕は店長をたしなめましたが、色々話を聞くうちにオーナーにも問題があると感じました。

オーナーは典型的な親分肌でとても気前のいい方なんですが、言い方は良くないですが恩着せがましいと感じてしまうところがあります。

「あなたのためにしてあげてるのよ」という姿勢が話の端々に出てしまっているのです。

「そういう言い方をされるとねぇ・・・」と思うと共に誰かのために何かをしてあげることの難しさを感じました。

人生の主人公は自分自身

話は表題に戻りますが。誰かに何かをしてあげようと思ったりしてあげたりすることは素晴らしいことですが、僕はあくまでも誰のために生きているかと問われれば

自分がまず1番でしょ。間違いなく自分のために生きている。
と躊躇なく答えます!

衣食足りて礼節を知る

という言葉がありますが、食欲なり物欲なりの自分充足感が満たされて初めて誰かの事を考えられると思ってます。

自分以外の誰かに何かをしてあげるというのは、自分にはじめから金銭や財産もコネもないから誰かのために動いたり働いたりして、その対価を自分を満たすために利用して行くということなんだろうと思ってます。

あるいは自分の充足感が自分の充足感の器に十分に(これは人によってなみなみ一杯になるまでとか、八分目までで良いとかそれぞれ違うと思いますが)満たされた時に、初めて自分以外の誰かの充足感の器を満たしてあげようと思えるものだと思う。

つまり自分が満たされてから、誰かのために何かをしてあげたいと思えるものだと思う。

このことが逆になってしまって、まず誰かのために何かをするという状況が続くと、精神衛生上良くないしいつの間にか自分が辛く感じちゃうんじゃないかなー。

冒頭の親子の話も、親のほうが子の事を(というかお店の事を)最優先に考えすぎて心身ともに疲れ果ててる感じだったしね。

厚かましく考えるくらいでちょうど良いのかも。まあ節度と謙虚さがあっての話だと思うけど・・・。

ほほえみ

JSKlingemann / Pixabay

人生ってなんだろう。

 そんなことが最近良く気になるあなたに。より良く生きるためのヒントがこの本にあるかもしれない・・・。

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